NIWA 庭

May.2012

俺たちの作庭論

日本人庭師が持つ世界への影響力

小川隼人


十八歳の時、これといった明確な目的はなく、近所に出かける感覚でなけなしの金を持ってカナダへ行きました。
何がしたいのかもわからず、自分の存在すらも曖昧でフワフワしていた時期でした。
カナダは多民族国家で、世界中から来たさまざまな国籍を持つ人が住んでいるため、名前を聞くのと同じに出身国を尋ねられることが多いです。
日本で「私は日本人です」といったことはなく、己が日本人だということすら意識していませんでしたが、カナダへ来てからは、「I am Japanese」 という言葉何度口にしたことでしょう。
そのため、自分のアイデンティティを猛烈に意識するようになり、というよりか意識せざるを得ず、己の存在・国家・国柄・民族・文化・ 宗教・言語・伝統・他国の人々と日本人の本質的差違、感覚の違いなど、今まで考えなかったことを毎日意識するようになりました。
また、自分の国を全然知らなかったため歴史や文化などについて聞かれてもまともに答えられず、それでは人として信頼され ないと知り、英語を勉強する以前の問題だと気づきました。
日本人として、この多民族国家カナダで何ができるのだろうと迷い、また悩むようになったのです。
その頃、生活費を稼ぐためアルバイトをしたのが、たまたま日系カナディアンの庭師の仕事でした。
それまで、庭の世界があったことすら知りませんでした。
その無知というか無謀さを思ってか父親が、本誌「庭」を送ってくれ感銘を受けたのでした。
庭は日本の美であり総合芸術だと感じ、もっと学びたいと思い、カナダでの雇用主も京都で勉強した方が良いと勧められたこともあり、日本へ帰って本格的に学ぶ決意をしました。
帰国後、造園会社「京都楓雅 舎」佐藤耕吉氏に師事し、親方や兄弟子の小笠原哲さん(現「みちくさ」代表)の厳しい指導の下、 住み込み修業を始めたのです。
たった三年でしたが、石仕事から樹木の手入れ、大工仕事に左官と内 容が濃かったうえ、沢山の有名寺院でも仕事ができ、一生の財産と思い出になりました。
再びカナダへ戻り、日本で引き継がれている歴史的伝統、仕事に対する姿勢の凄さに改めて驚きました。
遠回りでしたが、私は外国で日本の文化に感銘を受けたのです。 遠く離れて見るからこそ、日本国内の現状がよく見えることがあります。
ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、昭和の初めに桂離宮や伊勢神宮をはじめ、日本文化、日本建築に多大な感銘を受け、次の言葉を残しています。
「日本が次第に退屈に、無味乾燥になり始めるとしたら、それは全世界にとって恐るべき損失であろう」。
日本の持つ死生観、自然観歴史観、美意識などの価値を日本人が自覚することは世界的な意味を持つことであり、
それらが無くな っていくのを同時に危惧していました。
日本は島国であるため普段は当たり前すぎて、それらの価値を自覚することがどれほど難しいか、よくわかります。
それらは一朝一夕で身に着くわけではなく、長い歴史を通して世代に亘って受け継 がれてきた文化でもあります。
だから絶えさせてはなりません。
私は京都で仕事をし、この国の価値に手で触れ感じ、再確認できました。
外国では、その繊細で優美な日本の美と心は一定の人々には憧れの対象にあると思います。
人々は無意識にそういう打算的ではないものを求めているように感じます。
国が違えば感性や風土、そして常識までも違うため、型に囚われ ない斬新で奇抜、植物の特性を完全に無視した日本ではあり得ないが面白いアイディアが外国ではよくあります。
それを私たちがより良い形で調さて、という表現方法を通し日本人の美意識、庭に対しての意識の高さ、モノづくりの楽し さを伝えていきたいです。
ただし、限定されたものではなく、世界に通用する普遍的な価値を少しでも見つけ出し、伝え残せたらと思います。
そして、 このよにカナダの地から日本へ、さら世界中に発信できたら本望です。