Diary

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十年前から今も変わらないことで、海外に来てから、色々な国の人と触れ合い、この仕事に携わり常々想うこと事がある。当たり前のことを書くが島国に居たら感じていなかったことかもしれないので記録に残しておこうと思う。

物事を判断する心や論理的、概念的に思考する能力または善悪、真偽、羞恥心、道徳心など、感性、美意識等を規定してしまうものは、その人が育った環境、伝統や歴史だと気が付いた。

国や風土、習慣、言葉、宗教、歴史が違えば人々の「美しい」と思う感性すら違うということ。人の感受性は国の風土、それらによって作り上げられていると言ってもいいと思う。感性を生業としている自分は日本という国がその歴史の中で育んできた文化、技術、その感受性の恩恵であって自分たち一代で作り上げてきたのではない。

その最大限の枠組みはやはり『国』だと思う。ボーダレス、地球市民など言っている人もいるがあり得ないことでしょう。ヨーロッパの今が証明している。価値観のリスペクトは出来るが、全て一つになる事は絶対にない。断言できる。これは歴史が証明している。

世の中、いや人間には価値観や想いを一つにしたい欲や教え、また教義もたくさんある。が、私はたくさんの価値観がある方が落ち着くし楽しい。

樹木に置き換えたら簡単で、みんながバラを世界で一番で最もきれいだと言ったら気が狂いそう。たくさんの種類があった方が良い。

日本の技術職を生業にしている人は歴史、伝統を肌身で感じる事があると思う。大事にして後に残し伝えたいという気持ちが出るのが自然だと思う。(そうでない人もいるが)

昔、天才や芸術家は個性や個人の才能で人のできない事、誰もが思いもつかぬ物を創造する人たちと、思い込んでいたがその天才たちも全ての人と同じで一個人として他から何一つ影響を受けずにオリジナルな物を作り上げていることは無いであろう。
オリジナルなんていうものはこの世にあるのだろうか?

世界でもっとも古い国家、『日本』この長い歴史の中に色々な答えを引き出すヒントがあると思う。温故知新こそが次なる創造だと思う。

2013、1,12